軍人の兄は力に、商人の兄はお金に溺れ、悪魔の子分のワナにはまります。
イワンの愚直さに敗れた子分たちの復讐に親分の悪魔が乗り出しますが、「頭を使う」ことをイワン国の国民のバカたちにわかってもらえず、「頭を使って」階段を痛そうに転げ落ちながら消えます。
力に溺れ、お金に溺れ、頭を使うことに溺れ・・・。
これはまるで現代の混乱そのものではないですか!
トルストイのメッセージは永遠ですね。
「幸福だなあ!」と思うのはどういうときでしょうか。
思いつくままに挙げてみましたが、「そうそう」というものもあれば、「なんで?」というものもあるでしょう。人によって、あるいは人生の局面によって、なにが幸福感をもたらすかは、千差万別です。
本多静六(学者、蓄財家)さんは、「幸福は決して、親から与えられるものでも、人からもらえるものでもなく、また、偶然拾うことのできるものでもない。しょせんは自分自身の努力によって、自分の欲望が満たされ、あぁ、うれしいと感じる状態である」と言っておられます。
幸福は、そうなりたいと強く願い、努力してはじめて得られるものです。努力していられること自体が幸福である、ということでもあります。
ひとりひとりが、心から幸福だと思えないから、親殺し、子殺し、保険金殺人、いじめを苦にした自殺、などの痛ましい、悲しい事件が次から次へと起きるのではないでしょうか。
「幸福になりたい」と強く願うのはタダです。必要なのは、強い意志をもつことです。
一方、努力するということは、やみくもにやればいいというものではありません。
努力するためのテクニックがあると、ずいぶんと楽に、楽しくなります。
いまの時代、テクノロジーぬきにテクニックを語れません。テクノロジーを活用しなければ「もったいない」です。
必要なテクノロジーは誰にでも平等に目の前にあり、タダもしくは信じられないような安い費用で活用できるのですから。
私自身、幸福になるための努力にテクノロジーをどう活用できるか、試行錯誤してきました。
インターネットは、福音です。
テクノロジーを活用して、
私なりに次のようなことを施行してきました。
そんな経験に基づき、私流の「幸福のための技術論」について、こちらにまとめております。どうぞご覧ください!